師弟関係は、もっと美しい人間関係の1つだと考えています。
春秋時代の中国の思想家「論語」で知られる孔子と、弟子の子路との師弟関係を描いた物語、中島敦の名著「弟子」がグッとくるので紹介します。
孔子と子路との出会い
賢者で知られていた孔子のもとへ、荒くれ者の子路がやってきて論争をふっかけました。
「汝、何をか好む?」と孔子が聞く。
「我、長剣を好む。」と青年は昂然として言い放つ。
子路の目的は、孔子を論破して辱めることでした。
南山の竹はためずして自ら直く、斬きってこれを用うれば犀革の厚きをも通すと聞いている。して見れば、天性優れたる者にとって、何の学ぶ必要があろうか?
孔子にとって、こんな幼稚な比喩を打破るほどたやすい事はない。汝の云いうその南山の竹に矢の羽をつけ鏃を付けてこれをみがいたならば、ただに犀革を通すのみではあるまいに、と孔子に言われた時、愛すべき単純な若者は返す言葉に窮きゅうした。
顔を赧あからめ、しばらく孔子の前に突立つったったまま何か考えている様子だったが、急に鶏と豚とをほうり出し、頭を低たれて、「謹つつしんで教を受けん。」と降参した。
問答の末にこの人には勝てぬと悟った子路は、孔子の弟子になることを決めます。
子路が感服した孔子の圧倒的な幅の広さ
形的には、子路が孔子に論破され弟子になったように見えますが、理由はそこにはありませんでした。
子路が今までに会った人間の偉えらさは、どれも皆みなその利用価値の中に在った。これこれの役に立つから偉いというに過ぎない。孔子の場合は全然違う。ただそこに孔子という人間が存在するというだけで充分じゅうぶんなのだ。少くとも子路には、そう思えた。彼はすっかり心酔しんすいしてしまった。門に入っていまだ一月ならずして、もはや、この精神的支柱から離れ得ない自分を感じていた。
孔子の弁論が達者なことはもちろん、武芸においても一流、しかしそれだけではない不思議な魅力が孔子にはあり、それが子路をひきつけたのです。
師匠は弟子を信じ、弟子は師匠を無条件に信じ愛する
納得できないことがあれば師匠に対しても遠慮なく盾突き、子路は孔子を困らせました。
しかし、孔子は、他ならば絶対に受け入れられぬこの個性を認めていました。
孔子はこの剽悍な弟子の無類の美点を誰だれよりも高く買っている。それはこの男の純粋な没利害性のことだ。この種の美しさは、この国の人々の間に在っては余りにも稀まれなので、子路のこの傾向は、孔子以外の誰からも徳としては認められない。むしろ一種の不可解な愚として映るに過ぎないのである。しかし、子路の勇も政治的才幹も、この珍しい愚かさに比べれば、ものの数でないことを、孔子だけは良く知っていた。
そんな孔子を尊敬し愛する子路のグッとくるエピソードがこれです。
天についてのこの不満を、彼は何よりも師の運命について感じる。ほとんど人間とは思えないこの大才、大徳が、なぜこうした不遇ふぐうに甘んじなければならぬのか。家庭的にも恵めぐまれず、年老いてから放浪の旅に出なければならぬような不運が、どうしてこの人を待たねばならぬのか。
一夜、「鳳鳥至らず。河、図とを出さず。已やんぬるかな。」と独言に孔子が呟つぶやくのを聞いた時、子路は思わず涙なみだの溢れて来るのを禁じ得なかった。孔子が嘆じたのは天下蒼生のためだったが、子路の泣いたのは天下のためではなく孔子一人のためである。
自分を受け入れてくれる師匠。明らかに素晴らしい才能を持っているのに世の中には認められない師匠。そんな不遇を自分の事のように泣ける、その愛にグッときました。
ぼくの父も素晴らしい才能と愛を持った尊敬すべき人物なのに、運命の歯車で不遇の人生を送っています。そんな父と孔子の姿が重なってしまったのかもしれません。
これまでも、実在の人物、創作上の人体といろいろな師匠のもとへ勝手に弟子入りしてきましたが、今後もそれは続くような気がします。