自分は何故いざという時になると、いつも逃げ腰になってしまうのか

昨日、岐阜県立図書館で、同じ岐阜県出身で、同い年の作家、朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ。」を読みました。

その中で、一人、気になる男の子がいました。

彼には、勉強もスポーツも、努力しなくても、卒なくこなせしてしまう、才能がありました。

一生懸命に頑張る、周りの人たちがバカバカしく思えました。

そんなに頑張らなくても、そこそこ楽しく、暮らせばいいんじゃないの??

プロ野球選手になる訳でもないのに一生懸命練習している友人を見下し、恋愛に夢中になる自分の彼女を見下し、明らかに冴えない映画部の男たちを見下し、その映画部をバカにする友人をも見下してしまう。

だけど、なぜだか、そうやって、すべてをバカにしている自分に、一番腹が立ってしまう。

どうしてだろう?

最終的に直面したのは、「本気でやって、何もできない自分を知るのが怖い。」という、どうしよもない事実でした。

「山月記」中島敦に学ぶ自尊心との付き合い方

ぼくは、むかし、国語の教科書で読んだ、中島敦の山月記を思い出しました。

人が人である以上、誰にだって、自尊心や羞恥心があります。

山月記の中で、それは、猛獣と表現されています。

だからこそ、自らが猛獣使いとなって、上手く手なづけていかなければなりません。

それと向き合わなかったばっかりに、山月記の主人公は、自分よりも才能は無かったけれどコツコツ磨き続けた男に追いぬかれ、そのプライドの傷つきに耐えられず、虎になってしまいました。

これは、人間である以上、誰にでも当てはまることだと思います。

自分には特別な才能があるのではないか?」と舞い上がり、美大に行ってしまった、僕のような自意識過剰は特に。

どんな人生を歩むにしても、自分の心の中にある、猛獣と向き合わなければいけない。

それから逃れた自分は、もはや人間ではない。

逃げて良いこと、ダメなことの区別をしっかり持ち、自分自身と闘うことから逃げてはいけないと思いました。

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現代アート好きドローンライター。日中英で影響力を持つ人物になるべく瞬発力を鍛える日々です。岐阜出身、大阪芸大卒。フィリピンで英語習得後、助成金を得て渡米、NYで修行しました。執筆実績:LIG,グノシー,DRONE MEDIAなど