すぐに言語化できない体験に価値がある。




「アウトプットを前提にインプットすると効率が良い」とよく聞く。

たしかにその方がインプットするとき、本を読んだり、映画を見たり、人の話を聞くときの真剣さが違ってくる思う。

しかし問題は、もしもその体験が簡単に言語化できてしまうようなものなら、あまり意味がないのではないかということ。

今知ってる自分の言葉で説明できるということは、今までの自分の常識の範囲内であるということ。

本当に新しい体験だったら、手持ちの言葉では説明できないはず。ずっと後になって、色々経験したら出来るかもしれないけど、時間がかかるはず。

気軽に言語化できてしまうような体験になんか価値はない。

なんで自分はこんなことをしているのだろう。なんで自分はこんなところにいるのだろう。

自分でも何だかよく、訳の分からない体験。

そういうのを、これからたくさんしていきたいと思う。

自分の言語化能力が低いこと、自分が客観性なく、あまりにも色んなことに手をだしてしまう言い訳かもしれないけれど。どどど

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人生を「ワクワク」に捧げる男。「なんでも見てやろう」をモットーに、知的好奇心の赴くまま生きるWEB編集者。大阪芸大卒後、渡米。NYで修行中「なんとか目立たなければ!」とケロリンTシャツを着ていたら、あだ名がケロリンに。ストアカでWEBライティング講座開講中。https://goo.gl/yxQJN3 執筆実績:LIGなど