過去の自分への責任。ニューヨークで日記を書くことについてを考えた

ニューヨーク旅行記 76日目

9月17日(火)

日記を書くことはとても大切なことだと思う。

その日にその時に見たもの感じたことを素直な言葉で記録しておく。

僕は中学生の時から日記をずっと書いている。

人は、過去の記憶を現在の気持ちで勝手に書き換える

なぜかと言うと、人は、過去の記憶を現在の気持ちで勝手に書き換えるということに、それくらいの時に気がついたから。

(ような気がする)これもまた勝手な過去の捻じ曲げかもしれないけど。

落ち込んだ時には「今まで何にもいいことなかったな。」とか思いがちである。

特に僕にはその傾向が強くて、何でもああ、今まで何もいいこと無かったわ!とか言って過去の行いを悔やんだりする。

でも実際には、それなりに嬉しい気分や楽しい気分の時だってあったはず。

なのに、そんな風に過去の自分を勝手に都合よく解釈して、自己嫌悪の道具にするなんて、その時の自分に対して申し訳がが立たないんじゃないかとよく思う。

もしその時の自分が目の前にいたとしたら、どういう顔すればいいのかわからない。

もしかしたら一生懸命がんばってくれていたかもしれないのに。

その人(過去の自分)がいたから今の自分が存在していられるのに。

そういうことをするのは、その人たちの頑張りを踏みにじる行為じゃないかと思う。

今の勝手な感情に過去の自分を巻き込むことはとても自分勝手

自分の今の勝手な感情に過去の自分を巻き込むことはとても自分勝手だ。

過去の自分のことだからいいじゃん。と言うかも知れないけれどそれはなんだか違う気がする。

だって、過去の自分はもう他人であるし、明日の自分ももう他人じゃないか。だから、そういう人たちに敬意を持って接する為にも今の自分の素直な気持ちを記録しておくことはとても大切だと思う。

っていうか、自分を卑下してなんになるんだろう。自分の親や出身校や境遇をディスって何になるのか。ラッパーにでもなるつもりなのか。

そんなのあんまり意味がないと思う。

楽しけりゃ何でもいいじゃん。っていうテキトーな立場からものを言っているから、的外れかもしれないし説得力がないかもしれないけどでも。

自分の気持ちに嘘をつくな

自分の気持ちに嘘をついちゃいけない。

こともなけど、なるべくなら嘘をつかない方がいいと思う。その方が健康的だと思う。
だって、1つ嘘をついたら、また違う嘘をつかなきゃいけないと言うじゃないか。

それって結構、しんどい事なんじゃないか。かかか

どうだろう。ううう

ABOUTこの記事をかいた人

現代アート好きドローンライター。日中英で影響力を持つ人物になるべく瞬発力を鍛える日々です。岐阜出身、大阪芸大卒。フィリピンで英語習得後、助成金を得て渡米、NYで修行しました。執筆実績:LIG,グノシー,DRONE MEDIAなど