ニューヨーク、マンハッタンで生と死、キリスト教布教者を見て考える

ニューヨーク旅行記 34日目

8月5日(月)

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ニューヨークでキリスト教を路上布教している人たち

キリスト教を路上布教している人たちがいる事に気がつく。マイクを持って、キリストの素晴らしさについて語っている。

誰も見向きもせずに、歩き去っていく。

僕は、それを見て、虚しい気分になる。そんなことしたって、人なんて集まらないよ。何のためにそんなことをするの。

彼らにとってみたら、自分以外の人にも信仰の素晴らしさを伝えたい、神様の教えの通り、与えよう与えようとやっているのだろうけれど。

だって、集まったって、信仰したって、結局、死んじゃうじゃないか。

でも、キリスト教徒にとって、寿命を終えて迎える「死」は一時的なものでしかないという。

全ての人間は、肉体的な「死」を迎えた後、お墓の中で眠り、最後の審判によって裁かれ、永遠の命をもらえる人とそうでない人に分かれる。

重要なのは、最後の審判。そして、裁かれた後の命。

僕は、人生に意味なんかない、どうせ死ぬんだもん。とか考えるけれど、彼らは、そう考えていないのかもしれない。

だって、「あの世」のことが最優先。だからこそ、ああいう、僕にとっては無意味にしか思えないことが出来るのかも。

おもしろい。

人種の違いとか、言語の違いとか、そんなものは、ちっぽけなものだと思う。

それぞれの人間が「死」というもをどう考えているか、それこそが、一番大切な”違い”なんだと思う。僕にとってはの話だけれど。

どう死ぬかってことが、どう生きるかってこと

ふと、「どう死ぬかってことが、どう生きるかってことやで。」という言葉が頭に思い浮かぶ。

僕は、今、ニューヨークにいるけれど、日本に居る時と、あんまり変わっていないような気がする。

結局、どこにいたって、一人ぼっちで生きるのならば、それはつまらない人生だなあ。

そこでしか会えない友達とか、そこでしか見えない風景とか、そこでしか感じられない感情とか、どこにいようと、そういうのが大事だと思う。

多様な人種が住んでいるニューヨーク

おもしろい。とか思った矢先、

そんなに考え方の違う人が、そこらじゅうにいるって、ちょっと怖くない?と感じる。

だって、違うってことは、うん、違うって、ことやで?

なんだか、色んな人がいることに見える世界のことにだけ囚われて、テンション上がっちゃったりしてたけど。

ああ、ちょっと、なんだか、とんでもない事に気がついてしまったかもしれないと思い、テンション下がる。るるる

多様性を認める理由ってなんなんだろう。多様性があった方が、自由な感じがするけれど、本当にそうなんだろうか。

恐ろしいほど多様な人種が住んでいるここ、ニューヨーク。

どうやって、成り立っているのかが不思議でしかたがない。やっぱり、カオスか、ニューヨーク。

るるる、渾沌としている。るるるる

ABOUTこの記事をかいた人

現代アート好きドローンライター。日中英で影響力を持つ人物になるべく瞬発力を鍛える日々です。岐阜出身、大阪芸大卒。フィリピンで英語習得後、助成金を得て渡米、NYで修行しました。執筆実績:LIG,グノシー,DRONE MEDIAなど