ニューヨーク、マンハッタン。自由の女神にはタダ乗りではない

ニューヨーク旅行記 29日目

7月31日(水)

急いで、ニューヨーク・ギャラリー街チェルシーへ。

地下鉄から降りた所で、真反対へ向うバスへ乗車。

閉店30分前のギャラリーに入る。

18時閉館。

なんか服が欲しいので、近くの服屋に入る。

いいな!と思った花柄のシャツがあったので、試着。

レディースだと気づく。

レディースのLサイズ。

でも、ぶかぶか。

自分の趣味もなんだかアレだし、しかも着れないって、ててて

なんだか悲しい気分になる。

Freedom is not free(自由は、タダではない)

ふと「 Freedom is not free 」という文字が目に入り、一瞬、固まる。

「自由は、タダではない」か。

ヨーロッパ、アメリカの人たちは、革命を通して、命をかけて、自分たちの権利、自由を勝ち取ってきた歴史がある。

日本のように、なんとなく西洋の形式だけ輸入した、なんちゃって近代国家じゃない。

アメリカ人が、未だに銃を捨てようとしないのは、政府が国民の自由を奪うような事を行おうとした時には、銃をもって政府を転覆させてもかまわない、という革命の権利が与えられているから。

自分たちの身は、自分たちの身で守る、自分たちの国は、自分たちが変えていくという意識が埋め込まれている。

いいか悪いかは別として、そういう精神と行動が、この国の自由を守っているのだと思う。

それに比べて、僕は、自由にタダ乗りしようとしていたのではないか。っていうか、ダダ乗りできる自由なんて、そもそも、存在するのだろうか。自由が欲しければ、まず、不自由であることを学ばないといけない。

エルサルバドル在住の40代後半の日本人のおじさんの、プレイボーイ自慢を聞く

ニューヨーク公共図書館に移動

23時まで、日記を書いたりして過ごす。

宿に戻り、シャワーを浴びる。

エルサルバドル在住の40代後半の日本人のおじさんの、プレイボーイ自慢を聞く。

20歳のエルサルバドル人を孕ませたらしい。

しかも隠し子もいてとか、なんとかかんとか。

でも、そういうパターンって、フィリピンでもよく聞いたなあ、へえ。と受け流す。

外国にまで来て、日本人と話をするのなんて、本当に嫌だったのだけれど今では、わざわざ日本人との会話を拒絶する理由はないと感じる。

むしろ、何かしらの日本人コミュニティには属しておいた方が安全だとすら思う。

それは、他の国の人たちが、それぞれの国の人たちどうしで固まっている事実を見て思った。

例えば、ニューヨークでは、中国人は中国人でチャイナタウンを作っているし、イタリア人はイタリア人で小イタリーを作っている。チャイナタウンは世界中のほぼどこにでもある。フィリピンにもあった。

なんで、それが必要かと言うと、究極にいうと、人は一人では生きていけないからだと思う。

平時の場合は、なんとかなるかもしれないけれど、天災などの場合、非常事態には特に。

本当に困った時というのは、誰かに助けてもらわないと、生きていけない

日本人の場合は、群れるというと、”空気”に縛られたり”村八分”という特殊な文化があったりしてなかなか、群れる事に良いイメージを持っていない人が多い気がするけれど、でも、本当に困った時というのは、誰かに助けてもらわないと、生きていけないのだと思う。

食える食えないの問題じゃなく、人と人との繋がりの問題として。
そういうコミュニティに属していれば、異常事態になった時でも、困った時はお互い様だから、と助け合うことが出来る。

「そんな事言ったって、結局、いざとなったら、誰も助けてくれない。」と、言う人がいるけれど、そういう事を言う人はたぶん、「いざとなっても、誰も助けない。俺には関係ない。」人なのだと思う。

全てにタダ乗りしようとするから、そういう目にあうんじゃないか。

いざとなってもなんとかなるだろう。と思えるからこそ、失敗を恐れず挑戦できるのだとも思う。

「挑戦しろ。失敗したら、死ね。」では、よっぽど追い込まれた人以外、誰も挑戦しようとしないよ。よよよ

とにかく、全てのことには、タダ乗りできない、良いトコどりはできない。もしかしたら、できるかもしれないけれど、まあ、そんな人生、どうなんだろう。

自分はどっちの人生を歩みたいの。よく考えた方がいいよ。と、自分に問うてみる。

はっ。結局、今日も寝れてない。

おうまい!

ABOUTこの記事をかいた人

現代アート好きドローンライター。日中英で影響力を持つ人物になるべく瞬発力を鍛える日々です。岐阜出身、大阪芸大卒。フィリピンで英語習得後、助成金を得て渡米、NYで修行しました。執筆実績:LIG,グノシー,DRONE MEDIAなど