自分史年表。ロンドンの天気のような四季折々。基本、曇り。

1990 (0歳)

4兄弟(男・男・男・女)の長男として岐阜県岐阜市に誕生

1993 (3歳)

幼稚園入学

3年間1度も休まず幼稚園に通い、校内唯一の3年間皆勤賞をもらう。

1996 (6歳)

小学校入学

ジャッキー•チェンにハマる。「酔拳」に憧れ酔ったふりしてフラフラして過ごす。

プロレスにはまる。深夜のプロレスを録画して見るようになる。全日本プロレスに所属していた、オレンジパンツのプロレスラー小橋建太に熱狂する。

当時仲の良かった友達に誘われて柔道を始める。先生の顔面へのビンタが怖くてすぐ辞める。

他の友達に誘われてサッカー少年団に入る。

爪を噛む癖があり、 深爪になる。それがコンプレックスとなり、リコーダーのテストなどで自分の爪を見られる事に対する極度の恐怖感を味わう。

一番好きな授業は、家庭科の調理実習。家から持ってきた食材をやんちゃな友達と一緒に壁にぶつけて遊ぶ。最高に笑う。バレて、先生にひっぱたかれる。

父親の勤めていた会社が倒産する。

「まあ、なんとかなるやろ。落ち込んでいても仕方がない。パーッといこう!」

という父の一言により、家族全員でグアム旅行に出かける。初の海外旅行。現地にいた「チャモロ人」という謎の人種の名前が頭に残る。

学級崩壊、イジメ、威圧的な教師たち、殺伐とした雰囲気の学校生活にストレスを感じ定期的に蕁麻疹が発生するようになる。学校嫌いになる。

そのくせ「目立ちたい精神」は強く応援団をやる。団長に立候補するも落ちる。

2003 (13歳)

中学校入学

中学のサッカー部ではなく、学外のクラブチームに入るもレベルの違いに絶望する。劣等感が強くなる。

思春期特有の焦燥感が加わり、体調が崩れる。過敏性腸症候群。毎日腹痛の辛い日々を送る。性欲だけは高まり、インターネットで日夜アダルト動画を漁る。

深夜ラジオ、主にオールナイトニッポンを聞き始める。朝昼逆転生活が始まる。

ポルノグラフィティのギタリスト・新藤晴一に憧れギターを購入。作詞も始める。

当時仲の良かった友人、Kyoheiとロックバンド「Natarcia(ナターシャ)」を結成。名前の由来は、NHKドイツ語講座の女性講師、長岡ナターシャ。

成長期特有のホルモンバランスの乱れ、生活習慣の乱れ、学校のストレスなどが重なり、体調が最悪の状態になる。

内臓が死んでいるため口臭が気になり誰とも会話ができなくなる。伝えたいことがあるけど、誰ともしゃべれないので日記を書くようになる。

とは言いつつ、目立ちたいので応援団に入る。団長になる。

良い高校に行けば自由になれると思い一生懸命勉強する。高校入試で、一番苦手科目だった数学で100点満点、国語も小論文以外満点、他の教科も全て8割越えというミラクルを起こす。

無事、家に一番近い進学校(自転車で10分)に合格する。

クラスのお別れ会(親同席)で、ナターシャ•オリジナル曲(曲名忘れた)を披露。のちに「なんやったんや、アレは。」と言われていたことが発覚する。曲までのMCが長くまた音痴すぎたのが原因。

2005 (15歳)

高等学校入学

高校初の授業「数A」をうける。授業のつまらなさ、暗記するだけの勉強の意味の無さに絶望する。すべてが嫌になる。

入学3日後、深夜、突然倒れ救急車で運ばれ入院する。診断の結果「原因不明」と言われる。本格的に学校に行きたくなくなる。

毎日腹痛、昼夜逆転、最悪な体調で過ごす。

何か楽しいことをしなければと思い、サッカー部のメンバーと4人組ロックバンド「MARBLE ARCH(マーブル・アーチ)」を結成する(ギター担当)。

勉強もせず、学校にも行かず、家でギターばっか弾いているダメダメな日々を過ごす。ヘヴィメタルにはまり、速弾きを練習しまくる。

ギターヒーローは、マーティー・フリードマン

成績表に「1」が7つつき、進級が危ぶまれる。

追認試験を無事乗り越え仮進級を果たす。

学校の勉強は大嫌いだが、自分の興味のある分野についての新しい知識を得る喜びは知っていたので、放課後に一人、図書館で本を読み始める。

どうして学校は、自分が学びたいことを学ばせてくれないのだろう、そればかりか、髪型の規則など、どーでもいい事で怒り狂い、わざわざ僕のやる気を削ぐようなことばかりするのか。疑問と怒りが膨れ上がる。

難解な哲学書に挑戦してみるも全く理解できず絶望する。

装苑」というお洒落な女の子向けファッション雑誌と、世界の国々の風景が載っている旅の本がお気に入りだった。

2005 (16歳)

あと一日休むと留年ですよ」と言われるギリギリまで学校にいかず留年宣告がきてから学校に通う。

年間の約半分くらいを家で過ごす。

学校行くふりして、よく金華山(近所の山)に登っていた。登山中の老人たちに元気よく笑顔で「こんにちは!」というのが楽しかった。

日本のロックバンド、BLANKEY JET CITYにハマる。こんなにカッコイイ邦楽があるのか!と感動する。

オールナイトニッポンがきっかけで、「劇団、本谷有希子」主宰、劇作家、小説家の本谷有希子にハマる。自分の劇団に自分の名前を丸々つけてしまう自意識過剰さに衝撃をうける。

再び仮進級。

2006

進路に悩む。

なんとなく死のっかなーと思うも「なんで俺が死ななきゃいけないんだ!死ななきゃないのは、お前ら(自分以外全員)だろ!」と持ち前の図々しさを発揮し自殺するのをやめる。(正確には自殺する気力もなかった)

2007

9月 文化祭で学内ライブを行おうと試みるも騒音を理由に拒否される。

有名バンドが全国ツアーのライブを岐阜で開催する際に使用されるライブハウス「CLUB-G」を貸し切り(一晩20万円)あえて文化祭当日に屋外でライブを決行する。

結果、ライブハウスに学生たちが300人集まり大成功。

憧れの浅井健一と同じ舞台で演奏している!しかも超満員の中で僕は!とテンション上がりまくりで演奏を行い、人生史上最高の瞬間を味わう。


※極度の自意識過剰により、顔を見られるのが恥ずかしくて堪らず、ライブ中はいつもアフロを被ってサングラスをしていた。

11月 このまま普通の大学に行っても絶対すぐ辞めるだろうと思い芸術大学受験を決意する。

芸大受験を選んだ理由は、選択授業で受けていた美術の先生が変な人だったから。

空はどこにあるのかと聞かれ、窓の外を指差すと「そうです。あれも空です。でも、ここも空なんです。」と、目の前の空気を指差したのを見て、芸術に関わる人ってこんな発想をするのか。んな面白い発想をする人にもっと会いたいと思ったから。

しかし、デッサンもしたことなけりゃ絵も描いたこともない僕が受けられる芸大なんかあるのかと不安な気持ちになる。

運よくテストは小論文のみ、高校時代の成績関係なし、しかも倍率ほぼ1倍という僕の為に存在するとしか考えられない学科、大阪芸術大学芸術計画学科と出会う。

試験を受けてなんなく合格。だって倍率ほぼ1倍(笑) 一番学校に来ていない僕がクラスで一番早く進学先を決め、クラス内に不穏な空気が流れる。

ちなみに、実際に受けた試験の小論文のテーマは「この学科にきてやりたい事をのべよ」という「え?小学校の作文?」という超絶簡単な問題だった。

ちなみに東京ではなく大阪を選んだ理由は、好きなバンド•ポルノグラフィティが上京する前に一度、大阪にいたから。

2008  (19歳)

3月 卒業式

「目立ちたい!」の一心でアフロのかつらを被って退場する。9組1番、アイミヤ、卒業生の先頭だったこともあり大問題に発展し担任の先生に「お前のことは、一生許さない。」と本気でキレられる。

終わりよければすべてよし。のはずなのになあ、最悪の終わりになっちゃった。と半べそかきながら、ほとんど腹痛で苦しんだ思い出しかない高校生活にオサラバを告げる。

翌日、父親に連れられて、改めて学校に謝罪に行く。なにをやっているんだろう俺はと絶望的な気分になる。

高等学校卒業

4月 大阪芸術大学芸術計画学科入学

初めての一人暮らし。

ホームシックになるかと思いきや全くならず快適なマスターベーションライフを送る。

関西弁ばかりの会話に若干嫌気がさす。

軽音楽倶楽部に入部しロックバンド「イカレちんぽズ」を結成する(ベース担当)。のちに将来の事を考え「TOKKIBUTSU(トッキブツ)」に改名する。「あんまり変わってなくね?」とのツッコミが多数入る。

8月 「本流中国」で内モンゴル自治区へ旅行する。

神戸港から船で中国・天津へ入り、そこから寝台列車でフフホト、内モンゴル自治区へ。船から見た中国大陸の大きさ、世界の広さに圧倒的な感動を覚える。

内向的な性格のため、最初は誰とも交流できず「あーあ。俺はどうせどこでも一人なんだ」とふて腐れていると、一緒に来ていた学生たちが声をかけてくれて会話に入ることにでき一気に仲良くなる。

あんまりひねくれてても仕方ないことに気がつく。

初めて、東京大学、早稲田大学、慶応大学と言った、いわゆる日本のエリート大学の人たちと触れ合う。中には、外務省、経済産業省に内定をもらっている人もおり、そう言う人が案外良い人でビビる。

「官僚=極悪人」みたいな偏見が無くなる。その反面、別に東大生や慶応生がスバ抜けて能力がある訳ではないことに気がつく。

そういう知らない世界の人たちと知り合いテンションが上がる。

現地の人に現地語で話しかけられて焦る。よく「モンゴル系の顔してる。朝青龍に似てる」と言われていたので、「ぼくのルーツはやっぱりこっちなんだ。」と確信する。

9月 大阪芸術大学芸術計画学科主催「第9回アートプロデュースコンペティション」に応募し「家を交換して住む」でグランプリを獲得し、芸術計画賞を受賞する。

企画内容は、一人暮らしの人間同士が家を交換して生活する(交換中はその家にあるものを着る、その家にあるものを食べるルール)というもの。

賞金の40万円を使い、日本の民間最大規模の現代美術ギャラリー「大阪・海岸通ギャラリーCASO」で個展を行う。
参照URL

ポルノグラフィティのメンバーの出身地、広島の因島に一人、電車で行く。

それぞれのメンバーの実家をたずねる。ボーカル・昭仁の実家はカメラ屋さん。おじいちゃんが昭仁そっくりでテンション上がる。そのおじいちゃんに「君もきっと成功する。」と言われテンションが上がる。

帰りの地図を書いてもらい 「歩きでだいたい10分」と言われたので信じてあるくと、いつまでたっても到着せず結果1時間かかりびっくりする。

2011年

1月 20歳の誕生日に童貞喪失する。相手はプロのお姉さん。感想は「動くの難しいな。ちんこめっちゃ抜けるんだけど。

立花隆ゼミの名著「二十歳のころ」を先輩にすすめられて、二十歳で読む。

 

仏教にハマり、インドへ旅行する。空港を出た途端に変なインド人に拉致され旅行代理店に連れていかる。ぼったくりツアーを組まされ、インド初日にして所持金の半分を失う。

タージマハル観光。

ツアー終了後、友人と別れ一人仏教発祥の地ブッダガヤに向かう。電車が24時間遅れるというハプニングに遭遇しながらも、無事にブッダガヤに到着する。

現地の女性に、長髪を珍しがられる。

お釈迦様が悟ったと言われている、菩提樹の樹の下で女子高生に囲まれ、次々に握手を求められるというミラクルが起きる。インドが大好きになる。

牛が平然と 道路を闊歩し、時には道を封鎖していることにビビる。

苦行に次ぐ苦行の為に衰弱したお釈迦様にお粥を与え救った少女スジャータがいた村、スジャータ村に行く。

目ん玉クリックリの子供たちが満面の笑みで手を振ってくれテンション上がる。それまで全く理解できなかった子供の可愛さを知り、自分も可愛い子供が欲しいと思うようになる。

2012年

小林よしのりの漫画にハマる。

そこから評論、思想の世界にに興味を持ちだし、宮台真司にハマる。宮台真司の講演会を聞くために夜行バスで東京へ向う。生・宮台真司に会えてテンションが上がる(田原総一郎もいて更にテンション上がる)

読書量が増える。

釜山国際映画祭でシンポジウムを行う先生を追い韓国へ旅行する。

初韓国で一人のため、空港からどう市内へ行けばいいか分からずオドオドする。オドオドしてても仕方がないので近くにいた韓国人のおじさんに事情を伝える。

すると「おう!そんなら俺も市内いくしやな!連れてったるわ!」と市内までタクシーで送っていってくれることになる。結果、市内の安いホテルまで手配してくれその親切さに驚く。

夜ご飯を食べようとホテルから出て迷子になり、再びオドオドしているとオジサンが近づいてきて韓国語で話しかけられる。どこ行っても現地語で話しかけられる運命を悟る。

「腹が減っている」ことを伝えると、食堂に案内してくれることに。

韓国人の優しさ、親切さに触れ「反日感情って何なんだろう」と疑問感じる。

韓国の経済発展具合に驚く。

海雲台ビーチで知り合った韓国人の夫婦に写真撮影をお願いされる。おばさんに「息子に似ている」と気に入られ、お礼に韓国の宮廷料理をご馳走してもらう。どこの国でもやっぱり頼れるのは、おばさんであることを確信する。

「管理人のおばさんと付き合っている」という噂が流れる

2012年

人生初の彼女ができる。誰もが僕の熟女好きを信じて疑わなっかたのに、できた彼女が年下だった為「お前、ほんとは何でもええんやろ」と友人たちに言われショックを受ける。

人生初の彼女はびっくりするほど可愛く、本気で「この子さえおったら何もいらんわ」と考えるようになる。

鬱憤晴らしにやっていたツイッターへの投稿が激減する。

管理人が外食に頻繁に連れて行ってくれるようになる。この頃になると完全に「母」と「子」というような状態になり身の危険を感じることもなくなる。

大学卒業間際「就職きまってないじゃん。」と、半年間つき合った彼女に呆気なくふられる。

別れてすぐ、一緒によくライブやってた、口にピアスしてる男(髪の色はピンク)と付き合ったことが発覚して泣く。

仲の良かった友人とアートユニット「BAKURAI」を結成する。

大阪・JR「天王寺駅」近鉄「大阪あべの橋駅」の歩道橋上、アメリカ村の三角公園、学内などでパフォーマンス(という名の悪ふざけ)を行う。

卒業がかかった卒業論文発表会で、パクリばっかだと教授にどなり散らされ学科内で唯一、卒業論文を書き直す羽目になる。無事、書き直しが完成し、卒業論文が受理される。

3月 大阪芸術大学芸術計画学科卒業 

卒業旅行でニューヨークへ旅行する。

警察がパトカーのサイレン音で遊んでいる、地下鉄で突然人が踊り出す、太った黒人のおばさんにいきなり怒鳴られる、など圧倒的な自由に触れ感動する。またここに帰ってこようと決意する。

4月 「日本で働く=過労死」という偏見が強く日本で働きたくなかったこと、将来は海外で活躍する人間になりたいと考えていたのでフィリピン留学することを決意する。しかし全く 金がなかったので、働く代わりに授業料無料のコースを見つけ応募する。履歴書送って一発採用、面接も一切なしというテキトーさにビビる。

ま、いっか。」と単身フィリピン・バコロドへ渡る。

韓国人経営の英会話学校で、韓国人、フィリピン人に囲まれながら、唯一の日本人スタッフとして業務をこなす。

そこで出会った、フィリピーナ達の底なしの明るさの虜になる。失恋の傷もあっという間に癒され、人生史上最も幸福な時間を過ごす。可愛いフィリピーナを見つけては写真を撮影し、その合計が100人を超す。

仲良しフィリピーナに教会に連れられて行くうちキリスト教に興味を持ちだす。キリストの話をするとフィリピーナは喜ぶし、何よりも英語の勉強にもなるし!と英語版の聖書を読み始める。

9月 韓国人の人からはよくご飯を食べさせてもらったり、フィリピン人にも奢ってもらえるというありえない位現地に馴染むも、持ち前の生意気さ、興味の無い事への徹底した無関心さが態度に出たのか、日本人のお客さんから苦情が殺到し会社をクビになる。

現地の大学で日本語教師をやる話もあったが、給料が安すぎて生活できないのと詳細が不明すぎて結局その話が無くなる。

お前が辞めるなら俺も辞めるわ」とルームメイトだった韓国人も会社を辞めることになり、二人でフィリピンの首都・マニラへ渡る。24時間警備員駐在、プール3つ、ジム付きという超豪華なコンドミニアムで一カ月間生活をする。

10月 お金が底をつき帰国する。

日本の閉塞感に再び絶望。何のやる気もおきず約3カ月のニート生活を送る。

年末に、フィリピンで撮ったフィリピーナたちの写真を公開する展覧会を大阪・中崎町ギャラリーイロリムラで行う。フィリピーナに着せていたTシャツのバンド、高校時代からのファンだった8ottoのベースのTORAさんがわざわざ見に来てくださって感動する。

フィリピンのお土産をもって、管理人のおばさんに会いに行く。昼から酒を飲んでて、その変わって無さに逆に安心する。

家族からの無言のプレッシャーもあり、とりあえず、と期間限定で税務署バイトを始める。仕事の楽さに衝撃をうけ、公務員になりたいと感じるようになる。

2013 (23歳)

3月 税務署バイトが終了し、再びニート生活が始まる。「やっぱ公務員がいいわ。楽やもん。」という理由で、公務員に限りなく近い職場、郵便局でバイトを始める。職場の人間の暗さに絶望するも、よく考えると自分もそんな感じの人間かもしれないという事に気付き、再び絶望する。

大学時代の友人が、たまたまポルノグラフィティのメンバーが大阪時代に住んでいたアパートに住んでいる事を知りテンションが上がる。

4月 なんとかしたい、海外に行きたいと思い知り合いのフィリピン人が働いている岐阜の国際交流機関に行く。ニューヨークでのアート活動の助成金の存在を教えてもらう。やっぱりフィリピーナは、ぼくの天使であると確信する。

高校の同級生が自衛隊の試験を受けるという情報を耳にする。これが駄目なら、僕も自衛隊の試験をうけて人生を固めることを決心する。これが最後のチャンスだと思い、真剣になって書類を仕上げる。

6月 書類審査、プレゼン審査を、持ち前のハッタリ力で乗り切り合格し助成金を獲得する。

7月 渡米、ニューヨークへ渡る。

最先端のアートシーンを肌で感じる為に、毎日ギャラリーや美術館を巡る。ニューヨークで活躍されている日本人を探し、インタビューを行う。その時に知りあった日本人女性のアートギャラリーでインターンをさせていただく。

宿泊先の宿「ムーンパレス」のオーナーの商売哲学、独立した個として生きる姿勢に心揺さぶられる。
MoMAに作品を寄贈しているアートコレクターでもあるという点を知り、テンション上がる。

落合信彦が好きという偶然の共通点もあり、僕も彼のような商人になりたい、商人としてアートに関わっていきたい、どうやったら自分で商売ができるようになるだろうかと考え始める。

9月 日本帰国。

リスクの無い所から商売を始めようと、自分の家にあるCD・DVDをヤフオクで売り始める。将来、デヴィット・ロックフェラーみたいに自分で土地代も建設費も払って世界的な美術施設を岐阜に建てる夢ができる。

経営者の本を読みだす。

みうらじゅんにハマる

家にあるもの以外にも何かを仕入れて売ってみたいと考えるようになる。どこから物を仕入れていいのか、何を扱おうかと考えるようになる。

10月 ニューヨークで使いすぎたクレジットカードの請求代金を稼ぐため、時給1050円で、電力会社のコールセンターでバイトを始める。職場に男が僕一人しかいなくてテンション上がる。優しいおばちゃん、お姉さんたちと仲良くなる。

たまたま間違った情報を客に伝えてしまったことをきっかけに上司に呼び出され、「そもそも」と前置きをされた上で、愛想が悪いことを徹底的に指摘されて落ち込む。4月までの契約を12月末までに短縮される。

岐阜を出よう、どこへ行こうかと考え始める。

12月 コールセンターの仕事の契約が終了。

2014年

1月  ニューヨーク時代にお世話になった方に会いに広島へ。夢の厳島神社で初詣を体験する。ノリで「フグを食べよう!」と山口県・下関へ。せっかくだから九州も行っちゃおう!と、お世話になった方々に別れをつげ電車で福岡へ行く。九州に初上陸する。

突然ニューヨークの先輩から電話がかかり「博多の女の子は良い子が多いからナンパしなきゃダメだ。」と言われ、ニューヨーク〜福岡、謎の遠隔操作で女の子に声をかける。10人に声をかけたが撃沈。だけど、意外にも女の子が自分の話を聞いてくれる事に感激。常識が覆されなんだか自信が湧く。

博多から別府温泉へ行く。地獄めぐりをする。地球の神秘に触れテンション上がる。

お金が無くなったので、約1週間の九州旅行を終え岐阜に戻る。

しばらくして、上京するも、寒過ぎてすぐ岐阜に帰る。「あ、また帰ってきてしまった。もう、どうしもよねえや。」と絶望する。

再び長い停滞期、ニート生活が始まる。朝寝て夜起きる。ほぼ引きこもり、唯一出かける先と言えば図書館というどうしよもない時期を過ごす。

家族や隣に住む祖父祖母からの「働け」プレッシャーを受け、嫌嫌ながらロープウェーのカメラ撮影などのバイト面接を受けるも落ちまくる。

3月 高校時代に好きだった劇作家・本谷有希子の魅力に再び目覚める。著作を読み漁る。色んな人の人生を知ろう、科学者、冒険家、プロスキーヤー、登山家など、これまでの人生の中で興味を持ってこなかった人たちの人物史を調べ始める。

上橋菜穂子、辻信一など、面白いと感じる人が共通して文化人類学者であるという事実を知る。

4月 バイト探しではなく、ちゃんと就職しようと決意する。職歴が無いという事実が発覚し、新卒で就職しなかった事を後悔する。

6月 岐阜県岐阜市は日本で一番フィリピン人口が多い県と知り何か運命的なものを感じる。岐阜県在住のフィリピン人の子供たちへの日本語教育のボランティアに参加し始める。底なしの明るさに再び触れ、もう一度フィリピンに行く事を決意する。

9月 2年ぶりにフィリピンに渡る。インターン時代に一番仲の良かった先生の家にホームステイする。

そのときの体験を元に「本当の幸せを求めて!!笑顔の街フィリピン・バコロドでホームステイした話」シリーズを書く。Gunosyに掲載される。

10月 大阪のアートグループ「臓図ワニプロジェクト」のフィリピン研修のアテンドをする。

12月 世界一周の資金を稼ぐ目的で、愛知の自動車部品工場の期間工で働き始める。毎日12時間、一週間ごとに昼勤と夜勤が交代する過酷な生活を送る。

2015年

2月 東京でのニューヨーク関係のパーティーで、早稲田法学部を卒業後、弁護士を目指し体調を崩し画家に転向、現在ではニューヨークや上海で個展を開くまでになった画家・田中拓馬さんと出会う。

5月 期間工の間にまさか彼女ができるとは1mmも想像していなかったにも関わらず、彼女ができる。

田中拓馬さんのブログを担当することになる。

6月 期間工満期完了。ある程度のお金が貯まる。これまでなんとなく漠然と生きてきたため、このままだと同じ過ちを繰り返すことに気づく。

コーチングの質問集など元にを自分に問いかけ、紙に書き出し、人生の指針作りに取り組み始める。

7月 親知らずを抜く手術をするために入院。退院後も腫れがひかず一ヶ月間安静に過ごす。

8月 中国、上海、北京、香港に旅行する。
一泊1000円、二段ベッド4つ男女混合の部屋に宿泊する。自分以外全員、中国人でビビる。反日感情で、いじめられるかと思ったが「私は、生まれて初めて日本人を見た!」と歓迎される。一気に中国人たちとの距離が縮まる。みんな田舎出身の素朴な良い子で、親近感がすごかった。

中国語の勉強をはじめる。

9月 画家・田中拓馬さんの丁稚奉公になる。ついて行けず解雇される。失意のうちに岐阜に戻る。

10月 優しい田中拓馬さんから連絡があり、今度は、仕事があれば手伝うだけでいいという約束で、居候生活がスタートする。

11月 田中さんから教えてもらったカジュアルコミュニケーション(別名:ナンパ)のスキルを最大限生かし、日本人、中国人、ブラジル人、フィリピン人などと友達になる。そのうちの一人の中国人女性には、無料でマンツーマンで中国語レッスンを受けさせてもらう。

2016年12月 田中拓馬、田中拓馬アートスクール出身の画家・近藤太一らと、株式会社アートラバーズを設立する。オーナーになる。

1月 台湾出張

5月 NHK-FM「日刊!さいたま〜ず」出演。初のラジオ出演がNHKで驚く。ラジオ少年の夢叶う。

 

6月 ニューヨーク出張 アーティスト支援NPO タイムズスクエアにある高層階ビルのワンフロアを貸し切ったChashama主催のガラパーティーに参加する。

憧れの雑誌「ナショナルジオグラフィック」のエクゼクティンブプロデューサー、ロバートパランボさんにインタビューをする。

7月 月間600PVの人気WEBメディアLIGに「フィリピンのアートシーンに変化が起きている!脱サラアーティストの近藤太一さんインタビュー」寄稿

8月 イケメンフランス人男性に目を見つめながらフランス語で詩を朗読されて溶けそうになる

9月ストリートアカデミーで「初級者にオススメ!大手WEBライターによるライティング講座」を始める。

10月 画家・田中拓馬をニューヨークに送り出すクラウドファンディング「路上から世界的アーティストへ!田中拓馬をニューヨークへ送り出したい!」サイバーエージェント運営「Makuake」で開催。コピーライティングを担当する。無事目標額を達成、新宿伊勢丹本店で展示される。

ロンドン出張。アートフェアで絵を売る。外人相手にセールスが成功して自信がつく。

12月 ドローンを買う。今後伸びると思われるところにはとりあえず顔を出す精神で、世界シェア約7割を持つDIJの元副社長から記事の依頼をうける。

榎本大輔賞受賞

2017年

1月 さあどうする。

略歴

本名:相宮 康人

1990年 岐阜生まれ
2012年 大阪芸術大学芸術計画学科卒業
フィリピン・バコロドの韓国資本の英会話学校でインターン
2013年 岐阜県の助成金を得て渡米
ニューヨーク・ブルックリンのギャラリーでインターン
2015年 ニューヨーク、上海などで活躍中の画家・田中拓馬らと株式会社アートラバーズ設立
2016年 榎本大輔賞受賞

画家・田中拓馬をニューヨークに送り出すクラウドファンディング「路上から世界的アーティストへ!田中拓馬をニューヨークへ送り出したい!」のコピーライティングを担当する。

ストリートアカデミーで「初級者にオススメ!大手WEBライターによるライティング講座」を始める。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    現代アート好きドローンライター。DroneAgentでドローンの記事を書いています。日中英で影響力を持つ人物になるべく瞬発力を鍛える日々です。岐阜出身、大阪芸大卒。フィリピンで英語習得後、助成金を得て渡米、NYで修行しました。執筆実績:LIG,グノシー,DRONE MEDIAなど