先日、海外旅行が好きな人達と集まって話をしていた。
すると突然、男の子が割り込んできて、ぼくらに向かってこんなことを言った。
「結局は、自分じゃないですか。」
突然のことでビックリしてしまったのだけれど、海外旅行をしていればよくあることだし、せっかくだからと話を聞いてみることにした。
結局は自分じゃないですかの意味
彼は、パリへ行こうがロンドンへ行こうが、インドへ行こうがイラクへ行こうが、要はどこへ行こうが、結局そこには自分がいる、だから、そんなことをしても無駄だと言う。
ぼくは、海外旅行がとても好きで、魅力について語ることがあるのだけれど、必ずと言っていいほど、言われることがある。それは、次の2点。
- 旅行って、自分探し、現実逃避なんでしょ?
- それって金になるの?
ぼくはその話を聞いて、どうして彼はわざわざそんなことを言うのかなあと疑問に思った。
だって彼は、野球が好きで野球ばっかやってる人に対しては
「野球って、自分探し、現実逃避なんでしょ?」
「野球ばっかやってて、金になるんすか?」
なんてことは言わないはず。もしかしたら言っているのかもしれないけれど。
好きだからやってる。それは、海外旅行をする人も、野球をする人にとっても同じである。
なのに、どうして彼は海外旅行好きのぼくらにだけ、そんなことを言うのだろうか。
本当は彼も、ふらふら世界を旅行したいのではないか。
自分ってそんな確固としたものなのか
そもそも彼は、自分というものを勘違いしているのではないか。
どこへ行っても、自分は自分。その前提は正しいのだろうか。
ぼくは違うと思う。
確かに、どこへ行っても、自分という物体としても存在は変わらない。だけど、その身体というものさえ、実は、常に変化している。
分子生物学者の福岡伸一先生は、一年前の自分と、現在の自分は、生物学的に全く違うという。
生命の本質は「絶えず流れ変化していくことである」である。永遠に変わることのない、確固たる自分というようなものはない。
ゆく河の流れは絶えずして元の水にあらず〜。という、まさに方丈記の世界なのである。
彼は、自分というものを、確固たる変わらない永遠の存在として認識しているのではないか。
自分が変わるいうこと
バカの壁などの著書で有名な解剖学者・養老孟司先生が、将棋師・加藤一二三先生との対談で、面白いことを言っている。
「夏のパリに行った時に、コーラを飲みたいと感じた。普段ならコーヒーを飲むのに、その時はコーヒーなんて不味いもの飲めるか。という気持ちになった。その時、ハッと自分が変わったことに気がついた。(17:30頃から)」
人は、まさか、自分が変わるだなんて夢にも思ってはいない。だけど、それは実際に起こるのである。
ぼくの場合も、インドに行って、それまで全くなんとも思わなかった、子供という生き物を好きになった。
泊まっていた宿のロビーで休憩していたら、オーナーの娘と息子が近寄ってきて、遊んで遊んでー。とペタペタぼくに甘えてきた。
それまで、子供に遊んでー遊んでーなんて言われたことはなかったから、とても新鮮だった。日本人と違って大きな瞳の子供が神秘的に見えたのもある。
その子たちと、わちゃわちゃ触れ合っているうちに、子供ってこんなに愛おしい存在なのか!
どうしてこれまで気が付かなかったんだ!!と、一気に子供という存在を好きになってしまった。
人が変わる条件とは
元マッキンゼーのコンサルタント・大前研一も
「人間が変わる方法は、3つしかない。1つ目は、時間配分を変えること。2つ目は、住む場所を変えること。3つ目は付き合う人を変えること。一番意味が無いのが、決意を新たにすること。」
だと言っている。
海外旅行に行けば、ふだんの日常生活から離れる事ができる。時間配分も住む場所も付き合う人も、一気に変えることができる。
今いる場所から、遠ければ遠いほど、それは価値があると思う。だとしたら海外旅行は意味があるんじゃないか。
気持ちがいい!!体感こそが旅の醍醐味
そして何より、ぼくにとっての海外旅行の一番の価値は、圧倒的な体感なのである。
インドでタージマハルを見た時の、なんだろうこの大きな異世界との境界線は!!という感動や、中国で万里の長城を見た時の、滅茶苦茶やるなこの国はホントに。。。すごっ!!という驚き。
モンゴルのゲルで泊まっていた時、夜中にふと目が覚めた。なんとなしに外に出てみると、そこには何の音もしない静寂の世界が広がっていた。
空を見上げると、星がキラキラと輝いていた。
目を閉じて、深呼吸をしてみた。
身体の中で、宇宙が広がっていった。
その時にできた深呼吸ほど、気持ちの良いものはなかった。
ぼくの身体は、ストレスが溜まるとジンマシンが出たり、睡眠時間が極端に長くなったりと、ちょっと人より身体が軟弱である。
だから、健康でいられることは、ぼくにとっての一番の価値のあることなのだ。
自分で自分が健康だと認識できる瞬間。それは、圧倒的な体験がさせてくれる、深呼吸。
それは、日常を離れた遠い所であればあるほど、できるとぼくは思っている。
予想しなかった変化との出会い
深呼吸できることは、気持ちがいい。
それに、子供を好きになってしまった、それまでなら全く予想もできなかった自分に出会うのも楽しい。
旅行の醍醐味は、そこにある。
別に、海外旅行でなくてもいいのかもしれない。
日本にあるゲストハウスで外国人の人と触れ合ってもいいし、普段家で本ばっかり読んでいるなら、湘南の海でヤンチャっぽい人に話しかけて遊んでみるとか。
でも、手段は色々あるけれど、一番てっとり早いのは、旅行に行くことだろう。
他の人はどう思うかしらないけれど、少なくともぼくの価値観には、いちばん合っている。
迷わず行けよ、行けば分かるさ
結局、自分じゃないですか。
だなんて、勿体無いと思う。自分という存在の”変化そのもの”を楽しまない、と宣言しているようなものなのだから。
それは、山の頂上に行くことだけが登山の目的になり、道すがらに見える景色を楽しまないのに似ている。
彼はモヤモヤしているのだろう。金になるのかという問題も、じゃあ金を稼いだあとに何をしたいの?と問うたら、だいたいみんな、ビーチとかに行きたがるんじゃないかな。
だから、彼も、ぼくに文句なんか言っていないで、とっとと海外旅行に行けばいいばいいのに。
他に道があるなら、他を選べばいいんだけど。海外旅行の話にケチつけてくるってことは、少なからず海外旅行に興味を持っているのだから。
最後に、ぼくの好きなプロレスラー・アントニオ猪木の詩を贈ります。
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ、行けば分かるさ
ぼくは、世の中に、こんな楽しいこと、なかなか他にないと思いますよ。
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