寂しい目的は「二十億光年の孤独」谷川俊太郎を読んで感動すること

「ベコンッ!」

明石家さんまは、カップ麺のお湯を流す時に鳴る音を聞いた時、ああ俺って一人なんだ…。寂しいな…。となんとも言えない孤独に襲われたそうです。

ぼくも昨日ふと「あれ、ぼくって孤独なんじゃない?」と感じる出来事がありました。

カップ麺のお湯を流したら、あの音が鳴ったのです。

それに趣味と言えば、読書とラジオと散歩くらい。毎朝起きたら一杯の白湯を飲み、外にでてラジオ体操をするという、老後のじいさんばあさんのような生活。

なんだこの干し芋みたいな生活は!

孤独の原因は過去にあるのか、それとも未来か

そもそも、人は何の理由があって「孤独」になるのでしょうか。

精神分析学者・フロイトは、悩みや苦しみの理由を過去に求めました。

過去に「原因」があって、その結果として「寂しい」という現象が現れると。

フロイトの説をもとに、ボク個人の孤独の原因を考えてみると、こんなことが言えます。

“自分は4人兄弟の長男として生まれた。「お兄ちゃんだから!」と何でも言うことを聞かされた。母親に思う存分かまってもらえなかった。早生まれで成長スピードも周りに比べて遅く、コミュニケーションも上手くとれなくて悩んだ。その時の事がトラウマになって、いま自分は孤独なのだ。”

なるほど。とても分かりやすいロジックです。

しかし、世の中には、全く逆のことを言う人がいます。

「嫌われる勇気」岸見一郎で話題になった心理学者アルフレッド・アドラー.です。

アドラーはフロイトの、過去の原因を求め現在を説明する「原因論」を否定しました。

逆に、何事にも全て「目的」があり、それを達成するために現在が現れると考えるたのです。

この場合いうと、何かの「目的」があって、そのために「寂しい」という現象が現れるのだと。

すると次のような問いが立てられます。

「孤独の目的は何?」

ちょっと変わった問ですが。笑

考えてみます。

なんのために自分は寂しいのだろう。なんのために。なんのために。なんのために。

え?なんのために?笑

寂しいのは「二十億光年の孤独」谷川俊太郎を読んで感動するため

考えれば考える程よく分からなくなります。

でも1つ思ったのは、寂しいという感情があるからこそできることが、たくさんあるということ。

友達を作りたい。彼女がほしい。恋愛したい。一人ぼっちではなく誰かと何かを共有したい。伝えたい。そういう目的があるからこそ、寂しいという感情があるのではないか。

谷川俊太郎の「二十億光年の孤独」を読んで感動する為には、寂しいという感情をしみじみ味わっていないといけません。

そんなことをふと考え、寂しいという感情も、悪くないなあと思いました。

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ABOUTこの記事をかいた人

現代アート好きドローンライター。日中英で影響力を持つ人物になるべく瞬発力を鍛える日々です。岐阜出身、大阪芸大卒。フィリピンで英語習得後、助成金を得て渡米、NYで修行しました。執筆実績:LIG,グノシー,DRONE MEDIAなど