食べたいものを食べて死ぬ。旧約聖書、伝道の書が伝える叡智とは

旧約聖書、伝道の書は、こうはじまる。

“全ては無意味である”

主人公は、金、名誉、地位、権威、知識など考えられうる全ての財産を手に入れたけれど、人生の意味は見つけられなかった。

全ては風をつかむようなものである。

勉強すればするほど悩みは増える。勉強して賢くなった人も、何もせず怠惰に過ごしていた人も結局は同じ、みんないつかは死んでしまう。

愉快にやろうと日々ニコニコしたり、事業に乗り出したり、芸術に打ち込んだり、お酒を飲んだり、とにかくやれることは何でもやってみたけれどやっぱり虚しい。人生の意味が分からない。

彼の出した結論は。

日々の労働に喜びを見いだし、食べることを楽しむこと。神の為に生きること。

ぼくは今、海外移住に必要なお金を稼ぐ為に働いている。賃金は高いけれど、かなりしんどい肉体労働だ。

本当に毎日が憂鬱だ。けれど、不思議なことに、仕事が終わった後のご飯がビックリするほど美味しい。労働の喜びってこういうことなのかもしれない。

ぼくは本当に全く、労働というものに良い印象が無い。奴隷がやればいいと思っている。だけれど。ご飯がおいしい。

ご飯を美味しく食べたければ、一生懸命働けば良いということか。
食費を削れば、この労働から解放されるのも、海外移住の時期も早めることができる。

だけど、遠いいつかの目的のために、毎日の喜びを犠牲にすることに価値はあるのだろうか。

今を生きるって言葉があるけれど。それって、おいしいご飯を食べるために、一生懸命働く。ということなんじゃないか。

この喜びは意味を超えていると思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

現代アート好きドローンライター。日中英で影響力を持つ人物になるべく瞬発力を鍛える日々です。岐阜出身、大阪芸大卒。フィリピンで英語習得後、助成金を得て渡米、NYで修行しました。執筆実績:LIG,グノシー,DRONE MEDIAなど