福岡伸一「知恵の学校」 第二回 対談講義 思想家・内田樹

分子生物学者・福岡伸一主催の私塾「知恵の学校」対談講義に行ってきました!

今回の対談相手は、内田樹先生。

学生時代から本も随分と読んで、精神科医・名越康文さん、MBSアナウンサー西靖さんの3人で放送している不定期ラジオ番組「辺境ラジオ」も初回から聞いていたので、この日を心待ちにしていました。

「”書を捨てよ、街へ出よう”という言葉がありました。それは、頭でっかちにならず、街へ感性を探しに行き、それを知性にフィードバックしようという運動だったと思います。しかし、現代に生きる多くの人は、捨てるべき本を持っていない。この授業は、もう一度、本を丁寧に読みなおそうという試みです。」

福岡伸一先生この言葉が示すように、この私塾では、もう一度、本の価値を見直し、ただの本好きをプロの読者に育てる事が目的です。

内田樹を形づくった3冊

内田樹が影響を受けた本は次の3冊です。

  1. 若草物語(ルイザ・メイ・オルコット)
  2. 飛ぶ教室(エーリヒ・クライバー)
  3. エースを狙え!(山本鈴美香)

1冊目「若草物語」

まずは、内田樹が人生で一番最初に影響を受けた本「若草物語」

アメリカ南北戦争時代に、黒人奴隷開放運動の為に旅だった牧師の父に残された、母と四人姉妹、女ばかりの一年を描いた物語。

内田樹先生は、小学生の時、女の子とばかり遊んでいました。女の子5人くらいと手をつないで登下校をして、女の子の家でおしゃべりをして、風邪をひいたりしたら、女の子ばかりが家にやってきたそうです。

どうして、女の子とばかり遊んでいたのかと言うと、同級生の男たちが、バカだったから。笑

バカというのは、男の子には中身が無かったということです。女の子の感情の微妙な揺れに同一化するのが、この上なく気持ちが良かったそうです。

2冊目「飛ぶ教室」

ドイツの寄宿生5人の、クリスマス気分で街が浮かれて浮足立つ数日を描いた物語。5人の仲間が多孔の生徒に襲われ捕虜になってしまい、助け出すために1対1の決闘を行うも、最終的に大乱闘になるというお話。

フォンという少年は、自分は意気地なしだという事実に気づいており悩んでいました。内田樹先生がそれまで読んできた本の少年たちとは違い、少年たちの心の中にも、それぞれ孤独や葛藤があるんだという事を知り「あ。男の子にも中身があるんだ。笑」面白みを感じたそうです。

3冊目「エースを狙え!」

お蝶夫人に憧れてテニス部に入門した主人公の岡ひろみと、新任の鬼コーチ宗方とのスポ根物語。

内田樹先生は武道家でもあり、神戸住吉の合気道道場「凱風館」で師範として教えています。

この本の中には「人がいかに才能を開花させて、次のフェーズに上がるか」が全て書いてあるそうです。

また、この本の解説で一番印象に残ったのは「自分には才能があると思わなくてはならない」という言葉です。

主人公の岡ひろみは、自分の才能をコーチに抜擢されますが、いじめなどにあって一度は、投げ出そうとします。

その後、紆余曲折あり「私にテニスを教えてください!」というシーンを迎えます。自分の才能を信じて、踏み出さないと、ほかの人にはそのストッパーは誰にも外せないという話でした。

プラトンがこの世をおかしくした!?

「内田先生、ぼくは、プラトンが世の中をおかしくしたと思うんです。それまでは、ヘラクレイトスが”万物は流転する”と言っていたのに、プラトンが永遠の実在、イデアとか言い出してしまった。それについて、どう思いますか?」

「困難な成熟」の読み解きが始まった時に、突然、福岡先生が質問を投げかけました。

福岡伸一先生と内田樹先生に共通するもの、それは、仏教観、全てのものは絶え間なく流れていくとう感覚です。

困難な成熟の中に、フェアネスとは何かについての章があります。フェアネスとは何でしょう?

“答え、つくりものである。それが作られる理由は、フェアネスという制度を取り入れることによって、ない場合よりも、人間が生き延び、成熟し、幸福になるチャンスがあるからである。”

つまり、もともとこの世の中には、都合良くデジタルで句切られるような境界線は存在しない、しかし、それでは成り立たないから、”つくりもの”としての境界線が作られた。

ぼくたちは、制度には、絶対的な何かがあるのではないかと思いがちですが、なんとその本質は、結果オーライだった。ということです。

福岡先生も、生物学者として、生命の本質を、絶え間なく流れるその現象に求め”動的平衡”という言葉で表現しました。
だからこそ、プラトンの言う、永遠の真的存在、イデア的な発想に違和感を感じたのでしょう。

生物学者と思想家、分野は違えど、根底に共通して流れるその諸行無常感が共鳴し、この質問が生まれたと感じました。

どうして成熟というキーワードを使ったのか?

最後の質問コーナーで、内田樹先生に聞きました。

「ぼくは先生に出会うまでは、”成熟”という言葉に興味を持ったことがありませんでした。先生は、師であるレヴィナス先生の生涯のテーマが”市民的成熟をいかにうながすか”だったから、タイトルに”成熟”を使ったと本に書いてありました。でも、そもそも、どうしてその、レヴィナスの”成熟”というキーワードに関心を持ったのですか」

それに対しての、内田樹先生の答え。

「成熟とは、成熟したからと言って、自分がどう変化したのかを”胸囲が10cm増えた”とか数値的に、自分自身で計測することができません。誰かに相談されるようになるとか、頼みごとが増えるとか、そういう事実によって初めて自分の成熟が分かる。つまり、回顧的・事後的にしかそれは自分自身では分からない。どこへ伸びていくのか分からない植物の蔦のような存在です。その不思議さに惹かれるのかもしれません。」

福岡先生も、この質問に答えてくれてくれました。

「君は、まだ若いから実感が湧かないと思いますが、この歳になってみて分かることがあります。それは、”いくつになっても、自分は大人になれない。”ということです。だからこそ、内田先生は、いくつになっても、成熟について考え続けているんじゃないかと思います」

困難な成熟には、「社会の中で生きるということ」「働くということ」「与えるということ」「伝えるということ」「この国で生きるということ」という5つのテーマについて、書かれています。どこを読んでも、じぶんの目から落ちる鱗の数にビックリする、本当にオススメの本です。

講義の内容は、話をしている内容が、難しいので理解できないところもありましたが、福岡先生の解説が、餅つきの時に阿吽の呼吸で餅をひっくり返す名人みたいで本当に秀逸でした。

これは、続けて参加すれば、もっと面白い世界を知れるんじゃないかとワクワクしました。また参加します。

ABOUTこの記事をかいた人

現代アート好きドローンライター。日中英で影響力を持つ人物になるべく瞬発力を鍛える日々です。岐阜出身、大阪芸大卒。フィリピンで英語習得後、助成金を得て渡米、NYで修行しました。執筆実績:LIG,グノシー,DRONE MEDIAなど