ロックンロール!!どんどん複雑になっていく、かつてはシンプルだったストーリー。




高校時代からのバンド仲間で、今年で社会人一年目の友人に会う。

学生時代に思い描いていた自分と、現在の自分の違いに若干の違和感を感じているという話を聞く。
ぼくも彼も、お互いに元バンドマン。
昔はギターを鳴らす時も、アンプにシールドを直接繋げてボリューム全開爆音で演奏していた。なのに今は、足下に変な機材が増えてしまった。しかも、その当時だったら考えられなかったような、音が微妙に揺れる系のエフェクターとかを使うようになってしまった。
というような形容で話をまとめる。
(※音楽やっていない人にはよく分からないかもしれない。ごめんなさい。)
要は「ロックンロール!!」の一言でどんな出来事も片付けていたのに、それが出来なくなった。物語がどんどん複雑になってきてしまったということである。それについて思うところがあると。
だけど、ぼくは、それは良い事だと思う。
むしろ、そうやって、自分の違和感を無理にシンプルな言葉にせず葛藤することが大切だ。
精神科医の河合隼雄先生は「人間には自分の人生をシンプルで分かりやすいストーリーにしたがる独特の癖がある」と言っている。
それを最初に聞いたときは、それのどこが問題なのだろうと思った。シンプルな話の方が聞きやすいじゃないか。共感もしてもらいやすいし。

だけど、そこには落とし穴があるらしい。それは、その類いの話には必ず”嘘が混じる”ということ。

例えば、よくある自己啓発本や成功物語に感じる、独特の違和感。あれの正体は、本当は複雑な事柄を極端にシンプルにしすぎる事によって生まれるものなのかもしれない。

そんなに人生って単純な訳がないもの。

それを無理矢理、コレしかダメ!アレしかダメ!と、巷に溢れるようなシンプルな物語の中の自分に当てはめるから、本当の私はどこ?なんて考えてしまうのである。あれは飽くまで売り物だと言う事に気づかないといけない。
そして何より、河合先生曰く、シンプルなストーリーとして語られた人の人生はそこで終わってしまう。
なぜ、いまでもキリストの人生が、今でも語り継がれているのか。
色々と理由はあるだろうけれど、実際のところ、キリストという人の人生が、なんだかよく訳の分からないと言う事も大きいだろう。
キリストについて書かれた福音書だって、新約聖書の中に4つもあり、その中のキリストの行動も微妙に違う。
よくわからないからこそ、色んな説が生まれる。それは違うとまた違う人が新説を出す。それを繰り返しす結果、長い事語り継がれていく。
だからこそ、未だにイエス•キリストは人々の心に生き続けているのではないか。
別にキリストに限らないけれど。
複雑な人生を、そのまま受け止め、複雑なまま生きる事。
そういう人生は、ハッキリ言って、めんどくさい。だって、自分でもよく分かんない現象をずっとそのまま背負っていかなくてはいけないのだから。
よく考えたら別に、語り継がれなくてもいいのだし。
でも、死んでしまったらそれで終わり!というよりも、その方が生きた甲斐があるではないか。
とっつきにくいけれど、噛めば噛むほど味わい深い、そんなスルメのような人生。
ぼくはそういう人生を歩みたい。
そんな話をして、数年ぶりの再会を無事終え帰宅する。

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人生を「ワクワク」に捧げる男。「なんでも見てやろう」をモットーに、知的好奇心の赴くまま生きるWEB編集者。大阪芸大卒後、渡米。NYで修行中「なんとか目立たなければ!」とケロリンTシャツを着ていたら、あだ名がケロリンに。ストアカでWEBライティング講座開講中。https://goo.gl/yxQJN3 執筆実績:LIGなど